爆勝(笑)☆大学受験奮闘記

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「四天王」 ブログネーム.出世城のみかん娘

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四天王といえば!
ペ・ヨンジュン、ウォン・ビン、張東健(チャン・ドンゴン)、李炳憲(イ・ビョンホン)
おっと失礼、これは韓国四天王の方々でした・・・。
本日は、それとは違う四天王についてのお話です♪

【第980回】

出世城のみかん娘のプロフィール


 さてさて4月になり、桜も美しい季節になりました。高校生の皆さんは、新たな学年になり、気持ちを新たにスタートを切る時でもありますよね。頑張りましょう。

 ・・・かく言う私は、「杉本彩も夢中!」というコアリズムでくびれを作ろう!という計画を立てましたが、4月に入ってまだ1週間ほどしか経っていないにも関わらず既に挫折してしまいました・・・。だって、意外と腹筋を使うんでお腹が痛いんだもん・・・。

ということで、今回は一度決めた計画を継続し続けることができるように、自分に厳しくなりましょう!!!

では、さようなら。



・・・なんてことはなくてですね。今回は徳川四天王について書きたいと思います。

 徳川四天王とは、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政の4人を指すそうです。なぜ、この四天王について書こうと思ったかというと、きっかけはまたしてもそう、テレビです。NHKの「その時歴史が動いた」で放送してたんですね。


 内容は、4人の武将達それぞれが対峙した局面での決断が、徳川家という組織にどのように貢献を果たしたか、というものでした。


 家康の長男・信康は、信長の娘・徳姫の所に婿養子に入っていましたが、徳姫が「信康は武田家と内通している」と信長に伝えたことで疑われます。その時、織田と徳川の間に入ったのが酒井忠次で、徳川家を守るのか、家康との情を優先して、信康をかばうのか・・・との決断を迫られ、徳川家の安泰を守ることを選びます。結果、信康は切腹を申し付けられます。


 本田忠勝は、小牧・長久手の戦いではわずか500名の軍勢で、秀吉率いる8万の大軍を相手に、「釣り野伏」とよばれる知略を駆使し、退却させた功績を残しています。
 本能寺の変の知らせを聞いた家康が取り乱して、堺から京都へ向かい信長の後を追おうとしたのを冷静に諌めたのも、本田忠勝だそうです。



 その本田とは反対に、自ら率先して敵陣に切り込んで「赤鬼」と恐れられた井伊直政は、戦で数々の武勲をあげますが、家康から「井伊はあくまで一軍の将であり、戦場における突出は許されない。立場を考えて行動せよ。そして本多忠勝を手本とせよ」と言われてしまいます。
 その後迎えた関が原の戦いで、先陣は福島正則軍が切ることになっていましたが、徳川軍が先陣を切って闘わなければ、徳川の威厳が保てないと、自らの得意とするスタイルを貫き、井伊軍が先陣を切り成功を収めたことで、徳川家の威厳を保ったのです。


 そして、最後の一人榊原康政は関が原の戦いが初陣となった、家康の息子・秀忠の後見役として、秀忠軍に従い家康軍と別のルート、中山道を通って真田の上田城を攻略後、関ヶ原に向かうことになりました。真田攻めの途中、すぐ合流せよという家康からの伝達に従い、進軍しましたが大雨で移動に時間がかかり、着いた時には戦は終わってしまっていたのです。


 この遅参に家康は烈しく怒りましたが、榊原は遅参を詫びるとともに、使者が大雨のため5日も遅れて到着し、さらに移動中も激しい大雨に見舞われたことを説明し、家康の怒りが不当なものであると訴えました。
 これにより、秀忠は家康との謁見を許されたそうです。


 この4人はそれぞれの能力を発揮し、「徳川家」という組織の安泰に多大な貢献を果たしています。「組織」と言われると、会社や軍隊をイメージする人も多いと思います。だから、高校生のみなさんは、まだピンと来ないかもしれませんが、部活をイメージするとわかりやすいと思います。部員の多い部活では、十人十色の部員がいて、それをまとまる必要があります。部員同士のいざこざや、大会などで結果を残すために自分が果たせる役割は何なのか・・・。


 さらに、あと何年かすれば全員がどこかの会社に就職し、組織に属すことになります。そして仕事の中で、彼らのように組織の浮沈が掛かるほどの大きな選択ではないにしろ、何かしらの選択を迫られることがきっとあるはずです。その時の判断材料として歴史に名を残す偉人達から学びましょう!!


 そして、家康の「三河武士は元来『宝』というものを持たない。しかしあえて答えるならば、私の宝は『家臣』です」という言葉からも分かるとおり、周りの人から「宝」だと言われる人材になれれば、きっと良い人生を送ることができますよ。






(その他のブログでも「教育の現場」を覗いて見て下さい♪)





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