爆勝(笑)☆大学受験奮闘記

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「新撰組⑥」 ブログネーム.kariya 受験指導部

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新撰組シリーズもいつの間にか⑥まできました♪
管理人も興味深く拝見させて頂いておりました!
でも、今回が最終回のようです。。。

kariya 受験指導部さんの次回作も楽しみです!!

【第925回】

kariya 受験指導部のプロフィール

 みなさんこんにちは。私は今風邪なのか花粉症なのかよくわからない病気に侵され、鼻の下が痛いです。
 1.2年生はあと少しで学年末テスト、3年生は受験の後半戦を迎えます。体はお大事に(苦笑)。


「え、まだやるの?」

と言われそうですが、今回も新撰組ネタです。
 でも、もうネタが尽きてきたのでそろそろ終わります。もう少しお付き合いくださいませ。

 今回の注目は、「吉村貫一郎」です。

 彼は、作家の浅田次郎が彼を主人公にして物語を書いていますので、「聞いたことある」という人がいるのではないでしょうか。


 吉村はもともとは脱藩者でした。しかし、資料によれば、たいそうな男でした。
 局長の近藤勇には人として惚れられ、あの副長の土方歳三には「敵に回したら怖い男だ」と恐れられ、沖田総司には「優しくて強い人」と尊敬されていたそうです。
 また、一説には、「剣の立つ男」といえば必ず挙げられる、沖田総司・斉藤一・新倉新八と並ぶ、いや彼らを凌ぐほどの実力があったとも言われています。

 しかし、彼は一方で「出稼ぎ浪人」「金のためなら何でもやる男」と一部の人間からは罵られていました。それでも彼は、「それが新撰組のためになるのなら」「それがお金になるのなら」と喜んでどんな仕事もやったそうです。
 そうなんです。吉村には誰に何を言われてもお金を稼がなくてはならなかった深い深い事情と、わざわざ危険を冒してまで新撰組に入りたかった大きな大きな理由があったのです。

 吉村の故郷は南部藩(盛岡藩)。現在の青森県や岩手県あたりです。 今は品種改良されて冷夏に強い農作物は沢山ありますが、当時の南部藩には当然そんなものはありませんでしたし、台風のような水害対策も万全ではなかったので農作物は安定して収穫できることがほとんどありませんでした。しかも収穫できたとしてもほぼ国へ収めてしまっていたので藩にはほとんど農作物は残らなかったのです。そのため毎年沢山の人が飢饉で亡くなっていました。

 吉村の家族も飢えで苦しんでいました。それを目の当たりにしてきた吉村はこう思うのです。
 「なぜ、ここに生まれてしまったためにこんな苦労をしなくてはならないのだ。皆頑張っているのになぜこんな目に遭わなければならないんだ」と。

 そんなある日のこと。吉村は当時京都で大活躍していた新撰組の話を耳にします。
 新撰組は「やる気があるなら誰でも大歓迎。実力がある人を優遇します。身分は問いません」が売りでした。
 当時の日本は、身分制度が絶対ルールでしたので新撰組の人事採用条件は吉村にとっては魅力的でした。

 そして決心するのです。

「俺は家族のために藩を捨てる」と。

 新撰組に入って、沢山仕事をして、沢山お金をもらって、そうしたら家族に送金し、家族にはいつもおなかいっぱいご飯を食べさせてやりたい…。
 それが、吉村が生まれ故郷を捨て、新撰組に入った理由なのです。

 その結果、吉村は働きが認められて沢山お金をもらい、沢山家族へ送金できました。
 …でも、それと引き換えに払った代償は大きいものでした。それは、「二度と愛する家族に会えなかった」ということです。
 家族の元に戻るということは、「脱藩者」という罪のもと、切腹をしなければならないということだったからです。
 だけど、吉村はそれでも幸せでした。家族が毎日自分の送ったお金でおなかいっぱいご飯を食べていると思えばそれだけで十分幸せだったのです。

 吉村の最期は、実はあまりよくわかっていません。
 浅田次郎の小説によると、『南部藩に戻り脱藩したことを許してもらおうとしたが聞き入れてもらえず、南部藩の屋敷で「このお金は家族に送って欲しい」という遺書と、吉村の有り金全てを残して自害した』となっています。
 …しかし、これは、浅田次郎が参考にした資料がそうなっているだけで、実際は、「鳥羽・伏見の戦い」に参戦したことまではわかっているのですが、その後の消息は全く不明で、あとは明治3年に亡くなったことしかわかりません。

 彼は別に日本のためとか幕府のために新撰組にいたわけではありません。そういった意味では彼は異色の存在でした。
 けれど、そんな彼を非難することは誰にもできませんでした。
 吉村が家族のために命を懸けて戦い続ける事が、結果的に新撰組のためにもなったのですから。

 吉村は最期まで『一家の主』として生きました。つまり、夫として父親として生きました。とても家族思いの素敵なお父さんです。
 …でも、こんな生き方をしているお父さんってよく誤解されます。もしかしたら、このブログを見ているあなたも、そうかもしれません。

「休みの日はいつもゴロゴロしている」

「なにかとウザイ」


とお父さんのこと、煙たがっていませんか?

 お父さんは、あなたのために普段は一生懸命働いて、お金を稼ぐためにいっぱいいろんなことを我慢しています。
 休みの日ぐらいはちょっと休ませてあげてください。ちょっとぐらいの小言は聞き入れましょう。
 世のお父さんは、家族のために、あなたのために、毎日頑張っているのですから。




(その他のブログでも「教育の現場」を覗いて見て下さい♪)





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