爆勝(笑)☆大学受験奮闘記

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「生きること」と「苦しみ」 ブログネーム.かねなし和也     

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プレッシャーに負けることがないように
「希望」を持って勉強を進めていきましょう!!

【第1217回】

かねなし和也のプロフィール


 「生きること」「苦しみ」表裏一体の関係にあると思います。


 生きていれば、必ず苦しみが存在します。


 これは、一つの「生命の真理」であるような気さえします。


 「苦しみ」を消滅させようと思ったら、たとえば「世捨て人」いわゆる「ホームレス」のような生活をして、他人とのコミニュケーションを断ち切り、自分一人の世界で無念無想に励まなければいけません。


 そして、あらゆるもの(自分が生きることさえにも)に、興味や欲を持たず、何も考えず、感情も持たず、何も見ず、何も聞かず、じっとしていなければいけません。

 つまり、自分が生きているのか、死んでいるのか分からないような、虚無的な状態にならなければなりません。  普通の人では、まずできないと思います。


 しかしそれでも、意識が少しでも存在すれば「苦しみ」を感じることがあるでしょう。それをも完全に消滅させるためには、意識不明の昏睡状態になるか、死ぬしかありません。


 このように、「人間らしくいきいきと生きること」と「苦しみ」は、切っても切れない関係があるように思えます。人間らしく活動的に生きようとすれば、どうしても「苦しみ」が存在してしまうからです。生きていれば、ある程度の苦しみは避けられません。


 しかしだからと言って、「生きることは苦しみなのだから、これ以上生きていても仕方がない!じゃあ、死んで天国に行こう」、という考えももちろん賛成できません。


 私は、
  苦しみは「生きることを否定するため」にあるのではなく、
                      生きるためにある
                                   と考えます。


  ①人間が健康的に生命を維持するため。
  ②人類という種族を絶やさないため。
  ③人間がより良く生きるため。


 このようなことのために、「苦しみ」は存在していると思います。


 たとえば、飢えや渇き、暑さ、寒さ、疲労の苦しみは、「自分の生命を健康的に維持するため」にあります。怪我や病気の苦しみも同様です。もし、怪我や病気をしても少しも苦しくなかったら、それらを直そうとせずに死んでしまうからです。


 恋人ができなかったり、失恋したり、結婚しても子供ができなかったり、愛する子供を死なせてしまったときの苦しみは、「種族を絶やさないため」にあると思います。


 恋人ができなくても苦しみを感じなければ、異性を求めて子孫を残そうとしないでしょう。また、愛する子供が死んでも少しも苦しくなければ、わざわざ手をかけて子供を守り育てようとはしないでしょう。


 愛する家族や親しい仲間が傷ついたり、病気になったり、死んだりすれば苦しみますが、その苦しみも「種族を絶やさないため」にあります。このような苦しみが存在するからこそ、


   人間どうしが協力し合い、助け合うことができる
                               んだと思います。


 このような意味では、「愛」「苦しみ」表裏一体の関係にあると思います。愛するからこそ、愛する者が苦しんだり死んだりすれば自分も苦しみます。


 もし、これらに苦しみを感じなかったら、愛や慈悲の心を育てて広めたり、平和や平等を求めたりもしないでしょう。そしてすべての人間がお互いに殺し合い、人類はとっくの昔に絶滅していたことでしょう。


 また、「生きる目的」や「生きる意味」が見い出せなかったり、「自分は社会の役立たず者だ!」などと感じてしまうと苦しみますが、それは「自分の生命をより良く生かすため」にあり、自分の生命の可能性を最大限に発揮させるために、そのような苦しみが存在すると思います。


 以上から私は、


苦しみは


  「生きるのを否定するため」にあるのではなく、「生きるため」にある   


                               と考えます。


 自分の生命を維持し、種族を絶やすことなく、人間の可能性を最大限に引き出すために、苦しみが存在すると思います。


 もしも苦しみがまったく存在しなかったら・・・たとえば「死への恐怖」という苦しみも存在しなかったら、人間は生きようとさえしないのではないでしょうか。


 ところで私は、「苦しみは進化する」と考えます。


 たとえば、紛争や戦争が終結して平和になり、「殺される恐怖の苦しみ」が取り除かれたとします。しかし生活物資が不足していれば、「困窮の苦しみ」が生じてきます。


 そこで産業や経済を復興させ、生活物資を充足させて「困窮の苦しみ」が取り除かれたとします。しかし今度は、「怪我や病気の苦しみ」を強く感じ始めます。


 
 さらに科学や医療技術を進歩させて、怪我や病気の苦しみの大部分が取り除かれたとしましょう(それが今の日本の姿だと思います)。


 すると今度は、


 「生きる目的や、生きる意味がまったく見い出せない!」
 「なんのために生きなければならない!」
 「なぜ、死んではいけない!」


というような苦しみが生じてきます。


 平和になって殺される心配がなく、飢えや寒さや困窮の心配もなく、怪我や病気の心配もないのに、「苦しみ」が生じてしまいます。


このように「苦しみ」は、取り除いても取り除いても新しく生じてしまいます。 しかし私は、「古い苦しみ」に比べたら「新しい苦しみ」は、


    「高度に進化した苦しみ」なのではと思います。


 
 たとえば戦時中を生き抜いてきた人たちは、平和な戦後の人間の苦しみなど「甘えに過ぎない!」としか感じられないのではないでしょうか?


 また、戦後の高度経済成長を支えてきた「企業戦士」や「仕事人間」たちには、現代引きこもりやニートの苦しみなど、「甘えに過ぎない!」としか感じられないのではないでしょうか?


 しかしながら、戦時中の「殺される恐怖の苦しみ」や、戦後復興期の「困窮の苦しみ」に比べたら、現代の「生きる目的や生きる意味が見い出せない」という苦しみは、「高度に進化した苦しみ」のように私には思えます。


 生命の安全や、衣食住の充足を求めるというような「動物的な苦しみ」から、生きる意味や精神的な充足を求めるというような「人間的な苦しみ」へ、苦しみの質が高度になって来たのではないでしょうか?


 しかし、昔の貧しかった時代には人々が助け合って生きていたのに、豊かになったおかげで、最近起きたような、秋葉原、茨城、八王子の事件のような「人を殺してみたかったから殺した」とか「幼児や児童への虐待」などのような、「進化に逆行した苦しみ」も新しく生じています。


 また、産業や経済の発展で、公害や自然環境破壊などの苦しみも生じています。


 そして残念ながら、世界に目を向ければテロや戦争などの、「時代に逆行した苦しみ」も依然として生じています。


 だから、新しく生じた苦しみのすべてが「高度に進化した苦しみ」ではないのも事実です。

 
 しかしとにかく、人間は生きている限り、苦しみからは逃れられません。


 苦しみを取り除いても取り除いても、「新しい苦しみ」が次々と生じてきます。


 しかしそれは、


 人間がより良く正しく生きるために与えられた、「人間の能力」


                                だと私は思います。


確かに受験も一つの苦しみだと思います。これから生きていく上で、いろいろと受験以外の困難な壁にもあたると思います。それらを避けずに乗り越えて行くと、また、次の壁にでくわすと思います。それらを繰り返すことにより、


より人間的に成長し、より良く正しく生きることができるんだと私は思います。現在は、「以前の学歴社会から、学校社会へ変わった」と言われますが、確かに、大学に入ってからの成績も大事ですが、


何故、下位校より、東大、早大、慶應大の方が企業受けがいいのかというと、確実なことはわかりませんが、私が思うに、


   いろいろと高い壁をさけずに乗り越えてきた所を企業が買っている
からなのではないかと思います。確かに、下位校でも問題はないんでしょうが、やはり、潜在能力の高さを買われるからなのではないかと思います。社会に出てからのさらなる武器としての資格なんかもあると、なおさらいいと思います。ただ、最近は、上位校にも、大麻事件で捕まるような事件がありましたが、せっかく上位校に入っても、これでは何にもなりません。


結局は、受験も一人一人の問題ですから、上位校、下位校関係なしに、
     縁があった大学で一生懸命がんばればいいのではないかと思います。


今年の3年生をみると、大半が、指定校、公募、AOで入っているような感じです。個人的な意見では、一回は一般受験をした方が、いい勉強になるのではないかと思います。確かに、確実に合格をものにしたい気持ちも分かりますが、


  一般受験をする事により、苦しみ、楽しみ、喜び、悲しみなど、多々学ぶ事がある


      と思いますし、とにかくチャレンジ精神も大事なのではないかと思います。
いよいよ、来月はセンター試験です。

      後、一ヶ月しかないと考えるか、まだ、一ヶ月あるかと考えるかによって、これからの勉強の仕方も変わると思います。


  受験という大きな壁をしっかり受け止めて、乗り越えていきましょう!!







(その他のブログでも「教育の現場」を覗いて見て下さい♪)




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