爆勝(笑)☆大学受験奮闘記

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「恩返し」 ブログネーム.出世城のみかん娘

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皆さんは「恩」を受けた相手がいますか?
受けた「恩」は返したいものですね。。。

【第1153回】

出世城のみかん娘のプロフィール



 気付けばもう10月。時が経つのは早いものですね。これから、徐々に気温も下がり体調を崩しやすい季節になってくるので、みなさん体調には十分気をつけましょう!!

 さて、今回は「エルトゥールル号」のお話を紹介したいと思います。私はこの話を、「大切なことに気付く24の物語」という本で知ったのですが、この本では簡単にしか書かれていなかったのでもう少し詳しく調べてみました。



 「エルトゥールル号」とは、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦で、日本の皇族小松宮夫妻のイスタンブル訪問に応えるため日本へと派遣されました。一行は1890年6月に横浜港に入港。オスマン帝国最初の親善訪日使節団として明治天皇より勲章を授けられ、国賓として歓迎されます。

 3ヵ月後の9月に帰国予定でしたが、日本国当局は今が台風の季節であることと、エルトゥールル号が建造後26年を経た木造船であることを心配し、帰国を遅らせるように勧めます。しかし、一行は帰途が遅れないようにと予定通り9月15日に横浜港を出港したのです。

 そして翌日の9月16日、和歌山県沖を航海中に台風と遭遇、猛烈な波と強風で航行の自由を失い、昔から海の難所として知られていた「船甲羅」と呼ばれる岩礁に激突し、沈没してしまいます。

 岩場に打ち上げられた一人の水兵が40メートルほどの崖をよじ登り、岩場のすぐ上にあった灯台に助けを求めます。事故をすぐに察知した灯台守は、その水兵に応急処置をしたあと、人手を集めるため灯台から最も近い大島村の集落の一つ、樫野へと走ります。

 知らせを聞いた樫野の人たちは総出で救助に当たります。男性たちは海岸に下り、生存者を探します。体が冷え切ってしまっている生存者を、裸になって自らの体温で温めました。女性たちは、生存者に食べさせる料理を作りますが、樫野は貧しく自分たちの明日の食料にもこと欠く状況であった上に、台風で漁に出られなかったため食料はすぐに底をついてしまいます。それでも一人でも多く助けたいとの思いから非常食の鶏までも料理して懸命に介抱します。

 翌朝、事故を伝え聞いた大島村の他の集落の住民たちはみな、生存者のために食料を集めて持ち寄りました。事故の報告はすぐに村長から知事へ、そして明治天皇のもとへと届き、生存者の支援が政府を上げて行われます。

 そして、神戸で手厚い看護を受け元気に回復し、10月には日本の軍艦2隻によって東京から全員無事にイスタンブルへと送り届けられます。また、事故を知った日本国中から弔慰金が寄せられ、遭難者の家族たちのもとへと届けられました。

 エルトゥールル号の乗組員は600名余り。この事故の生存者はわずか69名。村の人々は、異国の地で犠牲となってしまった無念を悼み、遺体を引き上げて丁重に葬ったそうです。

 それから、約100年後。イラン・イラク戦争の真っ只中の1985年3月17日のことです。

 イラクのサダム・フセイン大統領が「48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃する」との宣言を出しましたΣ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) 。

 宣言後、イランに住む人たちはそれぞれの国の航空会社や軍によって次々に脱出していきます。しかし日本は、自衛隊の海外派遣を認める法的整備が行われておらず、また民間機派遣も帰路の安全が確保されていないとの反対や日本政府の判断の遅れから実現しませんでした。

 日本大使館は手を尽くして各国と交渉しますが、どの国も自国民救出に手一杯で、希望者全員を乗せてもらうことは到底かなわず、200名を超える日本人は脱出方法が見つからないまま生命の危機に瀕していました。

 刻々と迫るタイムリミット・・・。何とかしなければと日本大使館の大使の一人が、以前から親交のあったトルコ大使館の大使に窮状を訴えたところ、「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも。」と航空機派遣を快諾してくれます。

 大使の要請を受けたトルコ航空は、すかさず救援機2機を飛ばし、空港にいた215名の日本人全員を乗せ、成田へと飛び立ちました。タイムリミットのわずか1時間15分前のことです。
 後日談ですが、トルコは近隣に位置するため陸路でも脱出できることから日本人の救出を優先し、救援機に乗れなかったトルコ人約500名は陸路自動車でイランを脱出したそうです。

 トルコでは、教科書にエルトゥールル号のことが載っており小学生の時に学ぶようです。受けた「恩」をずっと語り継いでいくなんて、トルコの人たちはとても義理堅い人たちですよね。

 この話を知り、受けた「恩」を返すことは当然ですが、大島村の人たちのように目の前に困っている人がいれば、相手がどんな人であろうと自然に手を差し伸べられる人でありつづけよう!!と思う今日この頃でした♪(゚▽^*)ノ⌒☆。






(その他のブログでも「教育の現場」を覗いて見て下さい♪)





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