爆勝(笑)☆大学受験奮闘記

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「北京オリンピック 4×100mリレー」 ブログネーム.かねなし和也

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北京オリンピックの興奮がいまだ冷めやらぬ中、
活躍した選手の感動のエピソードも数多く紹介されていますね♪
かねなしさんからは、4×100mリレーについて!!

【第1127回】

かねなし和也のプロフィール




 
 
今回は北京オリンピックが終わったばかりという事で、北京オリンピックに関してです。
 
日本は、五輪トラック種目男子4×100mリレー銅メダルを取りました。
 
日本得意のバトン渡しがさえたほか、最後まで伸びのある走りをみせ、日本短距離界の彼岸であるメダルでした。
 
五輪トラック種目では、1928年アムステルダム大会女子800mの銀メダル以来80年ぶりの、男子では初めてのメダルだそうです。バトン渡しで、米国、ナイジェリア、ポーランド、南アフリカが、オーバーゾーンの違反で、英国、イタリアが失格しましたが、結局、日本チームのメンバーがミスをせずいい仕事をしたということ。
 
棚ぼたかもしれないですが、バトン渡しがリレーの中で一番重要で、それをしっかり練習してきたからこそ銅メダルがあり、努力してない棚ぼたではないという事です。
 
各走者間で無駄を省いて走る技術、日本は世界のトップ級だという自負。決して棚ぼたではないです。リレーでのバトン渡しバトン制限ラインなども重要な要素の内。個々の記録が高くても、バトンでミスすれば、それでジ・エンド
 
バトンの受け渡しの練習をコツコツ努力し続けた成果が出ました。確かに米国をはじめ有力チームが失格して、恵まれた事は確かですけど、ずっと、短距離が世界にまったく通用しなかった時代から、
日本の短距離を支えてきた朝原選手神様がご褒美をくれたんだと思います。
 
朝原選手は、「バトンゾーンに入った瞬間だけ、僕らの空間になるんです。
チームワークというのは、僕らが交わす一言一言。ほんとにみんなの思いが詰まったもの。ほんとに陸上をやってきてよかった僕たちはすごく集中もしていて、緊張もして走るんですけど、バトンゾーンのところは冷静でいられるというのは強みだと思います。瞬発力に劣る日本選手がトラック競技でメダルでを取るのは難しいとさえ言われてきました。確かに米国が失格になった他、日本はバトン渡しという技がさえた結果ですが、それだけではないです。全力を尽くした伸びのある走りが続いてこそのメダル獲得であり、ラッキーなこともありましたが、十分世界と戦えることが証明されました。」
 
最後まで諦めないというその姿勢だけでもメダルに値する喜び感動を与えてくれた選手の皆に、心からありがとうと言いたいです。
 
高野監督も「彼らは昨日、今日できたチームじゃない。長い時間かけてできたんです。リレーのメダルは日本陸上界の強化のたまものだ。個人では、世界との差がある。ならばチームで世界に出よう。」
 
98年から高野監督は、日本陸連の短距離部長として代表を指導し始めました。
 
バトンパスオーバーハンドからアンダーハンドに変え、世界的に少数派で、走者が接近するために利得距離は稼げないですが、失敗が少ない。シドニー五輪以降の世界大会は7回連続で決勝に進出しました。
 
「今回は他国のアクシデントがあり、ラッキーな部分もある。長年続けてきて、
天が与えてくれたプレゼント
リレー以外の陸上種目は惨敗が続く中、リレーは僕のひざ元だったので、これが崩れた時は、自分の使命を考えさせられたでしょう。彼らのいいところは、練習で詰まっていてもすぐに修正することができることです。」
 
リレーに、ここまで魂を注入する国は、他にないです。トラック種目で男子初のメダルを取ったのがリレーだったことは、決して偶然ではないです。
 
銅メダルを取った4人のアスリート全員が異口同音に陸上競技の先人達に感謝の言葉を口にしていました。
 
朝原選手は、「夢のようなというか、漫画のストーリーというか、最後の五輪でこんな結果で走れるとは、こんな興奮喜び、もう味わえない。世界を相手に仕事をするのが夢だった。幼い頃のあこがれは通訳ツアーコンダクター世界を飛び回る仕事がしたい。
 
もし結果がついてきてなくても、もう一度こんな舞台に立てて、必死でチーム一丸となって一つのものに向かってこれたプロセス。こういう興奮は、これからなかなか味わえないんじゃないかなと思うので、僕にとっては非常に有意義な一年でした。
 
皆さんも、失敗を恐れず、果敢にチャレンジする気持ちを持ってください」と、言っています。
 
朝原選手こと朝原宣治は、兵庫県出身、同志社大学から大阪ガスへ、奥さんは、大学時代の同級生で、2002年シンクロナイズドスイミングの選手だった奥野史子さんで、バルセロナオリンピックで銅メダル、1994年ローマ世界水泳選手権で銀メダル、バルセロナ五輪迫る1992年に史子さんは代表決定し、朝原選手は代表落ちしました。
 
その後、史子さん銅メダルを取り、引退します。
 
中学時代はハンドボール、高校時代は走り幅跳びの選手で、インターハイ優勝から短距離に移りました。100mに専念し、1999年に、日本人で初めて101台、100の記録、日本記録を3回更新、自己記録は2001年に1002和製カールルイスと言われ、世界陸上6大会、オリンピックはアトランタ、シドニー、アテネ、北京の4大会連続のオリンピック出場は史上最多タイ、世界陸上はアトランタ、アテネ、エドモントン、パリ、大阪の5回出場、大阪世界陸上の後一時辞めようと思ったそうですが、体が動く状態なのに辞めてしまうのは競技者として後悔するという事で、続ける事になったそうです。
 
肉体の維持する秘訣は、ウエートトレーニングで、バーベルを一気に頂上まで持ち上げるスナッチ、軽い重さで回数をこなすのではなく、極限の負荷をかける。大学卒業後、留学先のドイツでやっていたトレーニングで、とりあえず、出力を上げようと試みていたそうです。体が動くのにやめたら後悔するという。30歳を超えてからも10秒10台を連発、30歳が限界といわれる短距離界の常識を覆しました。
 
朝原選手の強さは考え抜く走りです。コーチを持たない彼は、自分の体を実験台に仮説を立て、試行錯誤を繰り返し、究極の省エネ走りを身につけました。
 
一歩先を行く彼女に遅れまいと奮起し、悔しさをバネに陸上に打ち込み、翌年、100mの日本記録を出しました。
 
アスリートはとことんやらないと次に進めないことを誰よりも知っていました。
 
朝原選手は、「最高の舞台で最高に気持ち良かった。言う言葉がないぐらいうれしい。夢のような気持ち。絶対できるという気持ちと揺れ動いていた。メダルをねらえる状態でアンカーを走るという重圧と戦いながら、楽しむのを忘れないでリラックスしていこうと思った。9万人の中で走りたいという気持ちだった。僕が一緒に走ってきたリレーメンバー全てに感謝したい。その積み重ねで出た記録です。ラッキーなこともあったが、十分世界で戦えるいうことが証明された。」
 
高野監督は、最後はチームワークに懸けた。メダルゼロも覚悟していた中で、長く付き合ってきた選手たちが力を合わせて3位に入ってくれた。うれしい。日本人が短距離種目で、しかも五輪で表彰台に上がるのは夢の世界、それがかなってよかった。」
 
史子さんも、「ゴールの瞬間は手が震えて、大泣きしてしまった。とにかく最高の瞬間に立ち会えてほんとにうれしかった。限界をあきらめず、4大会を乗り越えた末の今回のメダルで、頑張りが報われた。」
 
高平選手朝原選手に、言っていました。「じゃないですけど、あの領域に達するのは難しい。僕らからみてすごいと思う存在。息子が父を超えられない感覚。いつまでたってもおやじはおやじという感じ。朝原さんにバトンを渡せば何とかなると思って走ってきた。そのおやじは来年、もういない。自分が何とかする立場で、走る時はもうすぐだ。」
 
朝原選手は、「これまで一緒に走ったリレーメンバーすべてに感謝したいです。ラッキーもあったけど、世界と戦えることも証明できた。後から続く選手を応援したい。リレーのメダルは手にしたが、個人種目のファイナリストは夢のまま。」と。
 
後輩たちは、アンカー朝原選手から大事なバトンを受け取ったようです。
 
いかに楽しくて強くなるかということばかり考える。絶対、そんなものは存在しないわけです。十分なトレーニングをしなければトップにはなれません。トップの選手はトップになるにふさわしいトレーニングをこなしています。単純に量をたくさんこなしているということではないです。質の良いことを効率よく、ムダなくやっている。ムダが多いのはダメ。自分の頭で常に考える事。人の言われるままに動き、人のマネをして動いているうちは、自分自身を向上させることはできません。自分で納得できないものは取り入れません。自分の判断が、間違っている場合もある。すばやく素直に修正する柔軟性も大事。ずっと一人でトレーニングをしてきたために、自分で考えるクセがついています。
 
自分の頭で考えて動く人間であるよう心がけてほしいです。
 
ドイツでは、あらゆることを自分一人で解決しなければならず、精神的に弱くては、とてもやっていけないそうです。自立して暮らし、考えてトレーニングしていくうちに、自然に精神的強さも養われたのかもしれないですね。
 
まさに、素直、継続、感謝ですね。
 
何もしていない所にミラクルは起きない。やはり、頑張っていると神がかり的な力が発揮されますよね。
 
我々オフィスの卒業生にも、神がかり的な力を発揮して、都立高校から現役で千葉大学理学部にいった、去年までチューターをやっていた生徒がいますが、早稲田、中央、立教、東京理科、東邦、日本大学全ての理工系の学部に合格、つまり全勝でした。ただ模試は、千葉大学が一回D判定出た以外は、全てE判定。成績も普通。宿題が多い高校だったので、電話FAXをよく利用していました。今、大学4年生になり、教育実習も今年の春に行き、教員免許にもチャレンジしつつ、8月には東大、千葉大の大学院にも合格しました。大学は全勝、大学院も全勝、まさに、ミラクルです。春からは東大の大学院生です。
 
最後に、9秒台へのポイント
 
体の中心から動き出すイメージ。外国選手の動きからヒントを得た。
スタート直後の頭の位置、軸を作って、地面からもらう力を逃がさないようにする。
加速段階を長くする。前半をリラックスした走りでスピードを落とさないことが終盤の失速を防ぐ。
 
とのことです。








(その他のブログでも「教育の現場」を覗いて見て下さい♪)




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